雑記

遅れながらの新社会人一年生です。

こんにちは こんにちは

お客様は神様です。

 

三波春夫の言葉の曲解で、この言葉は客側のエゴの主張に使われる。

本来、三波春夫は神に聞かせるよう、神事であるかのごとく歌を献上する所存、そのつもりでこの言葉を言ったとのこと。

客が神であるなどいう曲解は、三波春夫の望むところではないだろう。

 

マスカレードホテルという映画を観に行った。

疑うことでアイデンティティを保つ警察が、信じることでアイデンティティを保つホテルマンとして潜入捜査をする。

理不尽な言い草を信じることにはストレスが多々あり、しかし決してそれを突きつけるのは対応として間違っている。如何に客を納得させるかが鍵である。

上記のような下地にサスペンス要素があるのだが、そこは割愛だ。

 

今の仕事も客商売だ。

客に対し、理不尽なことでも頭を下げ、目尻を下げて頭を垂れる。

ただ、譲れない部分はあるわけで、でもなぜ譲れないかというと客の利益をこちらの不手際や機嫌で損なうわけにはいかないからだ。なぜ利益を守るためにこちらが苦心をするのか、、それはプロフェッショナリズムと矜持かもしれない。

今の職業は、ある意味画一的な結果が求められる。しかし、結論は画一的ではなければならないが、その結論の伝え方や持っていき方は幾分か自由度がある。いわばブラックボックスだ。

ここでトラブルのないように、そして客の言い草を認めつつ運ぶのはやはり各々の器量に依存する。

ブラックボックスのない仕事には憧れもするが、ブラックボックスこそが自身のストレスでもありストレス解消にもなっているのかもしれない。